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20 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その8 『グランドジャット島の日曜の午後』 [ミュージアム 美術史]

 今回はおなじみの名画である。美術、特に絵画と科学を結びつける話題の時に、しばしば例に出されるのが、フェルメールの「遠近法におけるカメラオブスキューラ」に関する史実と、このスーラの高度化された「色彩分割理論」である。どちらも科学好きには気になる絵画である。
 研究者や著者にもよるのだが、後期印象派(私はこう呼ぶ)、新印象派、ポスト印象派(この言葉、最近少なくなった)等と呼ばれている、要は新しい印象派の画家達と言うことだ。モネやルノアールたちに対して、新世代という意味だ。
 前回セザンヌの回でも触れたが、セザンヌやゴッホ、ゴーギャンもこの仲間に入れられることが多いのだが、本稿ではこの現代絵画の父と呼ばれるグループとは、少々作品の持ち味が異なるため、これと別に一線を画したスーラ、シニャック、ピサロのグループと考えても良い。前者のセザンヌらの作品は、力づよいデフォルメやべた塗りに近い塗り方、省略された形を主軸においたモティーフへのアプローチと、次に生まれてくるフォビズムやキュビズムへのヒントが隠されているような作品群だ。それに対してスーラや相棒のシニャックは根気のいる点描のさらなる追求を進めている。そういう立場では、モネやルノアールが発見した色彩感覚を理論にまで持ち上げていった画家と言える。また美術史などではそう習うはずである。
 とりわけ本作『グランドジャット島の日曜の午後』は細かな点を打ちつづけた絵画である。描くことを絵画というのであれば、点を打つだけなので絵画と呼んで良いのかは微妙だ。
 まず、この作品の特徴を、多くの人物が描かれているにもかかわらず、賑やかさの感じない、音の響かない風景のようだとたとえているのが『続 名画を見る眼(岩波新書1971(2003刷)』の高階氏である。1880年頃のパリジャンの日常の行楽地であるこのセーヌの中州は、あまりに有名である。今は閑静な住宅街となっているが、当時は水遊びや昼寝、ピクニックなどの人々で賑わった場所である。ちなみに猿をペットにするのは、当時パリの水商売女性の間でブームになっていたので、普通の光景だったという。
 驚かされるのが、戸外で直接絵具で筆を入れるのが我々の写実派や印象派のイメージなのだが、スーラは違っている。アトリエで仕上げていく。しかも前期印象派たちが、習作をあまり描かずにいきなりキャンバスに描くこともあったのに対して、スーラは習作を二十点、三十点と描いてからアトリエで制作した。同書82ページはその習作の一つが図版紹介されている。
 スーラの絵画に対する構え方はなんと光学理論。その分野の研究所まで出向いて光の理論をシニャックと二人で学んできたのだという。本書の中で例えば白色光源の物体色、太陽光源の物体色の違いや、隣接、つまり縁取りは背景色との補色で決まるなどの理屈を考えながら筆をとっていた。まるでカメラのホワイトバランスなどの機能そのものだ。この辺りの偉業は『名画謎解きミステリー(河出書房新社 2005年)』でも紹介されているので、おきまりの特徴の一つと言えそうである。また盟友のシニャックの他にも、この色彩分割の理解者が印象派を受け継ぐ仲間の中にもう一人いて、それがピサロだったと言うことを、『近代絵画史(上)(中公新書1974年・2004年)』で見つけた。
 その色にまつわる部分でおもしろいのは、モネやルノアールが使っていた黒を使うのをやめた点にある(後に一部の画家達もこれを真似るようになる)。要は褐色というプリズム色をその代替色に置き換えていることが特徴である。これは千足氏の『西洋絵画の謎(だいわ文庫 2015年)』で拾ったが、多くの図録などでも触れられる必須事項である。またこの書はもう一つの大切なこと「点描主義」という用語を扱っている。一見新印象派や、後期印象派として、ゴーギャンなどと一緒にしてしまいがちだが(冒頭で触れたことと繋がっている)、作風で言えば全くの別物である。また記録で言えば最後の印象派展である1886年の第八回展出展作品であり、同時にアンデパンダン展という新時代の市民展の作品展出展の作品でもある。
 また当然のように言われる根気強く細かい作業をやっていた点描という作業の中で、早逝した天才という異名を手にしたのもこの画家の特徴であった。


ジョルジュ・スーラ『グランドジャット島の日曜の午後』について 
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/seurat_sunday.html


ジョルジュ・スーラ『グランドジャット島の日曜の午後』 1884-86年
油彩・カンバス 207x308cm
シカゴ美術研究所所蔵

19 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―新しい主題の話-テーマを考える一試考(その4・ミュシャで楽しむ花々・跋) [主題を考える一試考・植物画]

2・アール・ヌーヴォー様式と花
あこがれとオシャレの花と星
 日本文学の詩歌の分野で「星菫派(せいきんは)」と呼ばれるグループがある。辞書には星や菫(すみれ)に託して恋愛を歌うロマン派詩人のこととある。
 作品全体の雰囲気で言えば、パリ時代のミュシャのイメージは実はこんな感じで人気が出た画家であり、版画家である。しかし前章のラファエル前派の絵画における花の考察とはずいぶんと温度差が出てしまう。
 そうなのだ。そこで対比させるために、こんな書き出しにしてみた。自然に忠実なラファエル前派に対して、オシャレでロマンスの香りを纏うのが、アールヌーヴォーの旗手ミュシャである。このあたりのことはもう三回目になるので少々省略しておく。
 では対比を続ける。絵筆や刷毛(はけ)でのペインティングの技法で、あるいはボタニカルアートを駆使して、植物の姿形のリアリズムを追求したのがラファエル前派というのは、前の章でご紹介している。対して、線画、ドローイング、ペン画に近い筆致で植物の形態を美しく模写しながらも装飾品の一つとして描いたのがミュシャである。ここでミュシャに限定したのは、アール・ヌーヴォー様式で自然美を描いた画家もいるためである。しかし作品の社会的な普及で言えば、ミュシャの花に対するポジションが一番アール・ヌーヴォーの姿としては受け入れられたと私が感じているからここでは代表格として扱っている。
 ちょうどロマン主義と新古典主義の様式美の違いのように対比して、理解していただくためにこんな特徴を挙げてみた。実際にはこの二つの様式は、別に美術史上、対立もしていないし、確執もなく、接点も表だってはない。便宜上私が比べているだけだ。さしずめ、俯瞰した一般的な見解を述べるとすれば、世紀末美術時代の時間軸上で、ほかの様式も含めたカオス状態だったと考えるのが妥当である。

もうひとつの植物を主題にした美術図書
 既述のように、2000年代に入ってから植物の図鑑的な見解と美術をつなぐような図書が国内においていくつか散見できるようになった。以前もなかったわけではないのだろうが、より美術的な解釈に磨きをかけた見解で、図鑑的なアプローチから迫る内容のものが見られるという具合だ。
 ここでも花を分類して、それが描かれている絵画を紹介する図書を一つ挙げる。『花と果実の美術館-名画の中の植物』(小林頼子著 八坂書房 2010発行)である。著者の著書をたどると前回の図鑑や植物学の立場の著者ような専門性ではなく、フェルメールやベネルクスの国々の画家にお詳しい著者とお見受けしている。
 また写真と美術のお立場で論考も発表しており、「ミュシャとフェルメール」と題した『ユリイカ』への寄稿では、ミュシャが習作代わりに写真プリントを使っていたことなども述べておられる。私にとっては興味深い論考であった。
 次にそんな専門家がお書きになった著書の中から、椿の項目をご紹介して、大人の読書感想文と洒落込んでみたい。

椿とミュシャ
 このタイトルでは、ミュシャ好きなら誰でもピンとくる。『椿姫』である。ハイソサエティ専門の女郎家業を行う「椿姫」がまじめで無垢な気持ちで貴族青年に恋するという、今ならおきまりの涙の恋物語である。貴族青年の親に別れを頼まれて孤独死するというプロットだ(私は読んだことはないが、才女、里中満智子さんがマンガで描いているのを図書館で見つけた。たぶんこのお話だと思う)。この本の中では、洋の東西を問わず唐突に花が散る椿をはかないものとたとえている。日本では顎を残して丸ごと落ちる様が首切りを連想させるとして嫌う地方もあるという。逆に、盛期のまま散る様が潔いという話もある。いずれにしても散り際の美学を想定してのコメントかと拙者は、この本の著者の言うところの意味を理解する。
 さてミュシャの描くこの花のお話だ。ここに描かれている椿は千重咲きや八重咲きと言われる品種のものである。バラや八重桜のような華やかな花弁を持つ品種である。遠近感を出すために、人物の前面に描かれている。背景のことも加えておくなら、星菫派に似合いそうな星も描かれている。
 赤と白の椿の花がこの物語の進行に大きな役割を与えていたようである。また椿は常緑樹と言うことも忘れてはいけない。ほとんどの花々が枯れ果てて、世界が寒々しい空気に覆われたときに、花園を鮮やかに満たしてくれる花でもあるのだ。春から夏にかけては、もっと美しくきらびやかな花々で満たされている世界が広がるが、寂しい季節を彩る花という役割は大変貴重である。そんな部分もこの花に賛辞を述べられる魅力ではないかと思う。

四分割の影-個人的なミュシャ作品の特徴と鑑賞法
 ミュシャの作品を味わう場合、私が個人的に勝手に気にしているのがシンフォニー形式である。石版画に音楽とは変な例えである。いかにも私らしい独りよがりのイメージである。お付き合いと思って読んで下されば幸いだ。
 例えば交響曲(シンフォニー)と協奏曲(コンチェルト)の違いは何かと問われれば、いろいろな答えが返ってくる。もちろん素人の私のレベルなのでそんな難しいことは考えていない。楽器や構成など、きっと専門的にお勉強なされた方はあれこれ迷ってしまうような質問の出し方だ。
 素人の私の考えている答えは数字の「4」と「3」である。こういう言い方をすれば、「ああ、あれね」と返事が返ってくる。何部構成かという話だ。もちろん例外も多々あるのだろうが、ハイドンの頃には四部構成が交響曲には確立していたというのが、もっとも一般的なセオリーらしい。
 すなわち、ミュシャの作品で私は四部構成のものが好きなのだ。四つで一つの作品を織りなすという美的センスが好きなのかもしれない。日欧ともにカトルセゾンや四季というくらいに、日常の中に四つで体をなすものの観念は存在する。というより、ミュシャの作品には、この形式のものが実に多い。交響曲の方はもちろん四部構成でないものもあるらしいが、だいたいはこれがおおよそのルールらしい。
 ミュシャは四部構成のものとしては、朝・昼・夕・夜や詩・踊・絵画・音楽、春・夏・秋・冬、トパーズ・ルビー・アメジスト・エメラルド、宵の明星・月・北極星・明けの明星などの作品群を発表している。その中でも自信作とも評価の高いのが花々を表題とした装飾パネル『四つの花』である。順にアイリス・バラ・ユリ・カーネーションである(ちなみに"four flowers"は別のヴァージョンもあるので注意)。この作品はリアリティはもちろんだが、観賞花として私が好きな花なのである。一番好きなのは野に咲く花なのだが、観賞花のなかではこれらが好きである。とりわけバラとユリは構図としてもお気に入りだ。もし機会があれば、この『四つの花』もご覧いただきたい。
 これに限らずミュシャは花や植物の表題を多く残している。アール・ヌーヴォーの様式美の特徴だから当然と言えばそれまでだが、本稿では植物の名称を主題にしているので、それに沿った中身と思うため少し挙げておこう。
『ツタ』、『月桂樹』、『桜草』、『罌粟』などは表題になっている植物である。どれもミュシャならではの美しい作品である。
 植物とミュシャだけでなく、花を扱ったすてきな図書『花と果実の美術館』には、もっとたくさんの植物を扱った美術作品が載っている。是非読んでいただければ、私がこの大人の読書感想文で扱った甲斐もあるというものだ。


 本稿二つの章において、それぞれ『名画の中の植物<美術の植物学>への招待』、『花と果実の美術館-名画の中の植物』という二冊の本からインスパイアされた周辺の話題を、絵画と植物図鑑という組み合わせで考えてみた。そのような試みを私の「一私考」、あるいは「一試考」という主題になり得るかをさせていただいた。久しぶりに的を射た思想や思考に出会えたことがうれしい。これだから読書はやめられないのかもしれない。
 ここで扱った様式論では、ルネサンス様式、ロマン主義、ラファエル前派、アール・ヌーヴォー様式である(今回は脇役に甘んじたが、ボタニカルアート、カリカチュア(新聞ポンチ絵)や印象主義も侮れない)。ルネサンスを除いて、すべてが十九世紀。イギリスの万博の開催など、世界の経済的主導権を確立したビクトリア時代、フランスでは第一帝政、第二共和制、第二帝政、第三共和制という激動の時代である。ただしフランスもこの間にパリが「芸術の都」という肩書きを広めるほどに、美術界の大躍進があった時代だ。
 そんな時代に、プラントハンターやキュー植物園、アール・ヌーヴォーの自然回帰、印象派の自然考察が科学の発展とともに古典を回帰させている。おもしろい傾向と言えよう。
 そんな時代相の一躍を担った植物画や植物を模した絵画を主役に一つ話題を提供できないかと考察対象になり得るかの検証をしてみた。これだけの良書が出回るようになり、画家や絵画様式などの専門書もわかりやすくなってきた今、楽しみながらこの主題を追いかけてみるのもいいものだと考えている。
 四回にわたって、一つ続きの文章をアップしたので、少し読みにくかったかもしれないが(かなり再編集して連続性を持たせました)、久しぶりに長い文章を書き終えた感じがする。生涯学習の手引きとして、美術鑑賞の趣味のお供として、植物や自然、あるいは十九世紀のヨーロッパという時代相に興味ある人たちにとっても意味のあるものになってくれればうれしい限りの今回の主題である。
 また時間をかけて、長い原稿ができそうなときは、学習の成果としてや、本稿のような学習の主題選びの考察として書ければと考えている。すべての回に渡ってお読みいただけた方々には謝意を表するとともに、また楽しい美術館めぐりや絵画散策を共有していきたいと考えている。



※「新しい主題の話-テーマを考える一試考」の四回分の記事(序・その1~その4・跋)は、レポート記事として、できる範囲で一本の記事につなぎ直しました。そのため差し支えないと判断した本文に関係ない、アップ時の過去の挨拶文と次回予告の文章、当方のコメントなどを削除、再編集してあります。その際に「次回」や「今回」などの該当回の表現を、「次項」、「後述」、「既述」、「前述」、「ここ」などの表現に一部置き換えている部分もあります。重ねてご了承ください。

 




ミュシャ 『椿姫』
1896年 リトグラフ 208.1x76.3cm
http://art.pro.tok2.com/M/Mucha/mui021.htm




ミュシャ『四つの花』
https://shop.mucha.cz/en/the-four-flowers

そのほかの参考図書
ベル(田淵訳)『ラスキン』晶文社 1989年発行(1992年第二刷)
大場秀章監修 『シーボルト日本植物誌』 筑摩書房 2007年
高階・三浦編 『西洋美術史ハンドブック』新書館 1997年(1998年第二刷)
堺アルフォンスミュシャ館協力『ミュシャのすべて』KADOKAWA 2016年
高橋裕子『イギリス美術』 1998年 岩波新書
『ユリイカ』2009年9月号(第570号)青土社
そのほか百科事典(『ブリタニカ』)や辞書(『広辞苑』『新潮世界美術辞典』)なども参考にしています。

18 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―新しい主題の話-テーマを考える一試考(その3・ルネサンス回帰と植物画の時代) [主題を考える一試考・植物画]

寓意的な持ち物と花言葉-ルネサンスとボタニカル・アート
 前述の繰り返しになるが、十九世紀の自然回帰の旗頭であるラスキンの下に美術を志すものが集まったのが、ラファエル前派というお話があった。その流れから植物を描くのにもボタニカルアートや、かつての画家たちが忠実に描いていた花の絵を再び省略せずに描くという作業を目指していたのも、ラファエル前派であったという部分にも出会うことができた。
 その思想観は、イヴリンだけでなく、ラファエル前派の中心にいたミレイの例からも読み取れる。簡単に挙げてみよう。代表作の『オフェーリア』(近年は『オフィーリア』という方が多いようだ)。シェークスピアの復讐劇『ハムレット』の戯曲に出てくる登場人物である。水に浮かぶ姿で描かれている。このミレイの絵自体のエピソードとしては、モデルとなっているのが同じラファエル前派の中心人物ロセッティの妻となるエリザベスであることだ。
 肝心な部分では、この水辺に描かれている花々が考察対象になることが多い。一般書に述べられているだけでも、パンジー、ポピー、スミレ、ヒナギク、ヤナギが挙げられている。しかもこの絵を考察する際にはそれぞれの花言葉が重要な意味を持つように描かれているという。
 ロセッティはルネサンス期に似せた寓意的解釈のアトリビュート(持ち物)を使うことが多い。一方のミレイはこの絵に花の持つコード(花言葉)を多用している点に大きな特徴がある。『オフィーリア』に描かれている既述の植物は、パンジーから順に照らしていくと、かなわぬ愛、逝去、誠実と夭逝、無垢、捨てられた愛となる。
 そしてここで重要なのは、このミレイの『オフィーリア』に描かれている花々の絵の忠実さが、当時から今もなお研究者や学芸員の考察対象として興味を持たれてやまないということである。実際に、当時の高等教育機関の植物学(当時は博物学)の授業でも教材として使われたほどの精密性を持つ描写なのだそうだ。
 つまりイヴリンにも言えることだが、ラファエル前派の画家たちの作品の多くは様式論としては象徴主義に分類されているが、ボタニカルアートとしての写実性も備えた技法を身につけた画家集団であったということも、特徴の一部なのかもしれない。そこはラスキンの思想観を忠実に受け継いでいるともいえる部分だ。
 ロセッティのルネサンスを模した寓意的絵画とミレイのボタニカルアートさながらの描写。実はイヴリンの『フローラ』も、やはりそれらと同じ特徴を持つラファエル前派が有する特徴を、忠実に備えた絵画である。
 この本の見解によれば、イヴリンの『フローラ』は、ボッティチェリの『プリマベーラ』と『ヴィーナス誕生』の両者から着想を得ていると解釈している。
 改めて比すると、この絵のフローラのとるポーズはまさしく『ヴィーナス誕生』に描かれているヴィーナスである。平貝の貝殻の上で髪をなびかせていながらも、微動だにしないルネサンス期絵画の特徴である静止画のようなポーズ。手の位置こそ微妙に違うが、どことなく、その顔が正面、体は向かって斜め右のポーズも一緒だ。そしてフローラの衣装は『プリマベーラ』からの着想と考えられる。
 またこの本、『名画の中の植物』ではこの美しいフローラのモデルはイヴリンの身近な人間であった、妹の子守ジェイン・ヘイルだと教えてくれる。そしてボッティチェリとイヴリンの描く植物はバラ以外に共通点がないことも教えてくれる。ルネサンス期のヨーロッパだとバラの花言葉は、色にもよるのだが、それを考慮せずにいけばおおよそ「愛」を示しているはずだ。イヴリンのフローラは赤とピンクのバラを持っている。そしてこの本には、バラは女神の花としている。描かれた女性が花を振りまくフローラであることを示していると解釈していいのだろう。
 また背景となっている植物にこの本の著者は注目しており、日本から持ち込まれたビワの実が描かれているという。アルプスより北では生育は難しく、地中海地方では可能であったという。ただしキュー植物園では1786年、つまり十八世紀末にはビワを導入したとあるため、地中海地域やキューガーデンなどでイヴリンが目にしたのかもしれない。
 この書で著者は興味深い和訳を試みている。要は、この絵画のフローラの足下に紙切れが落ちていて、今風にいえばマンガの吹き出しのように、彼女の台詞がうかがえるということだ。詳しくは本書に直接当たって、著者の和訳を味わっていただきたい。読書感想文の類いである本稿は、要約のみでご勘弁願おう。

 フィレンツェに降り立ったばかりの女神フローラの自己紹介で、花々の町フィレンツェ生まれだが、今は転居してカレドニア(スコットランドのことで、ローマの権力が届かなかったブリテン島北部地域のこと)にいるという。

 花の少ない北国、カレドニアでも花を咲かせるイヴリンのフローラなのである。この辺のメルヘンといおうか、ロマンチストというのか、やはり、さすが当時のスーパーお嬢様である女流画家である。

ナチュラリストの影-ラファエル前派の時代相
 第一章における結びとまではいえないのだが、私の中で「オチ」となるのは、常にラスキンの自然主義というのか、ナチュラリストというのか、その息吹を与えられたアーティストや思想家に知らず知らずに興味を持たされていることだ。不思議な話である。ターナーやコンスタブルにせよ、ナショナルトラストのヒルやローンスリーにせよ、横にもしラスキンがいれば、「またあなたの影響があるのですか?」と訊きたくなるような話である。
 とりわけラスキン自身は、植物のデッサンなども数多く残しており、ポターの残した博物学の流れをくむボタニカル・アートと同じ流れの絵画的な感覚を持った人だったと言うことが作品を見ればわかる(ラスキンとは固い絆で結ばれたターナーは、その筆致をあまり好んでいなかったのか、彼の絵は一枚だけ気に入っていると残している。ロマン主義の躍動感のある描き方のターナーとはもとから違った絵である)。
 例えば、同時代のイギリスでは、ルイス・キャロル(Lewis Carroll 1832-98)の童話の挿絵で有名なジョン・テニエル(Sir John Tenniel 1820-1914)のようなタッチの絵もはやっていたが、これはフランス印象派の仲間であるドーミエ(Honore Daumier 1808-1879)にも見られるポンチ絵、つまりカリカチュアや風刺画の流れをくむ作風である。このポンチ絵は維新後の日本でもたいそう流行したのでご存じの方も多いだろう。近代絵画やマス・メディアの象徴としてしばしば扱われるドローイング手法の絵である。
 印象派のおぼろげな筆致とマンガの一歩手前のようなポンチ絵の挿絵が席巻していた十九世紀に、自然をモチーフにしたリアリティと図鑑、博物学の要素を持った絵画人集団が、ルネサンスの絵画気質を下地に次々と作品を放っていった。その美しい作品の一つであるイヴリンの『フローラ』。ラスキンの持つ思想観と美術への愛着がどこかに伝わっている作品と考えるのも一つの見解である。
 ただしラスキンについては多くの研究者がいて、多くの研究書があるので、私ごときがそのなんたるかなど言うことは全くもってできないが(言えるご身分などではないということだ・笑)、一つだけ言えるのは、十九世紀のイギリスの美術と自然(博物学なども含め)に大きな影響力を持った学者であり、思想家だったと言うことは間違いない。あとはラスキンについて気になった方は、それぞれの方が自分の手にとって、その著書や二次資料を当たっていただければと思う。
 数回に分けて、『フローラ』とその周辺を述べることができた。ルネサンスからカリカチュア、はたまたボタニカル・アートといった美術史の時間軸を行ったり来たりの連続だった。少し背伸びして、私の持っている知識ではいっぱいいっぱいのお話になってしまったが、ご興味があれば、ぜひ『名画の中の植物<美術の植物学>への招待』、読んでみてはいかがだろう。私以上に新しい発見があるかもしれない。





ミレイ 『オフィーリア』
1851-52年 油彩 カンバス 76x112cm
http://www.victorianweb.org/painting/millais/paintings/4.html

ボッティチェリ『プリマヴェーラ(春)』
http://www.wallpaperlink.com/bin/0702/03108.html

ボッティチェリ『ヴィーナス誕生』
http://www.wallpaperlink.com/bin/0701/03046.html




イヴリン(イーヴリン)・ド・モーガン 『フローラ』
現物作品は油彩 
1894年 78X34 イギリス ロンドン モーガン・ファンデーション所蔵

イーヴリンと絵画作品『フローラ』について
http://www.victorianweb.org/painting/demorgan/paintings/5.html



19世紀(1883年)完成のフローラ植物誌の原書の一冊
florabook1883year1.gif

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17 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―新しい主題の話-テーマを考える一試考(その2・フローラと花) [主題を考える一試考・植物画]

1・ラファエル前派と花
花を描く画家とその様式―イヴリンとラファエル前派
 拙稿「5 美術館めぐり(のこぼれ話)ボッティチェリ」において簡単な解釈を行った作品が『プリマベーラ』である。その主役はメルクリウスとも、ヴィーナスともいわれることもあるが、なんといっても春の訪れとともに変身して、妖精クロービスから女神になるフローラの姿が一番と個人的な思いで、お話しした回があった。
 あの時はルネサンス時代ということで、私のこのブログの主題とは少し外れているとお話をしたのだが、今回であの回が布石の役割をしてもらう文章に変わる。『プリマベーラ』の寓意的解釈はその時にすでに拙いながらお話しているので、記憶が薄れた方は今一度ご確認いただきたい。
 まずラファエル前派とイヴリン(イーヴリン)・ド・モーガン女史(Evelyn De Morgan 1855-1919)の基礎的なお話から入ろう。ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)は、別名英語読みのプレ・ラファエライトとも言われている。結成の起因は、拙稿でもナショナルトラストの話題でしばしば登場した美術史家ジョン・ラスキンの庇護のもとで集まった画家たちということである。有名どころではミレイ(写実主義バルビゾンのミレーではないのでお間違いなく)やロセッティ。ナショナルトラストにも顔をのぞかせるジョン・ラスキンの思想観である故に、基本理念は「自然への忠節」を一つの思想として提唱した集団である(『新潮世界美術辞典』・昭和60年/平成7年6刷および『ブリタニカ国際百科事典』を参照)。その理想とはラファエロ以前の初期イタリア・ルネサンス絵画とイギリス・ロマン主義の自然との対峙に本質を求めるというものだった。
 ここでより柔らかい言葉への換言を許していただけるのなら、虚飾や大げさな描き方をしないシンプルで自然描写を忠実に行うことをモットーにした画家集団ということになる(端折りすぎている場合はご了承ください。筆者この程度の語彙レベルと思ってご勘弁)。この大きな流れに見えてくるのは、写実主義の一部意味合いもあるし、ボタニカルアートの流れとも一部合致している。そしてこの自然と日常を重んじる考え方は、後々にはウイリアム・モリスなどの考え方とも融合してくる。このような特徴を持つのがラファエル前派である。
 しばしば象徴主義の一部にくくられることもあるのだが、個人的にラファエル前派は独立した様式ととらえている。象徴主義や世紀末美術の憂鬱さや気だるさは、ミレイにしてもロセッティにしても感じたことがない。あるのは美しさと真面目さである。ミレイの古典文学作品を題材にする『オフェリア』は美的センスでよく話題に上るし、ロセッティは真面目なキリスト教の宗教画を描き、初期ルネサンスの絵画特徴と伝える寓意的解釈のアイテム、アトリビュートを十九世紀の絵画でも再度使用しているからだ。ちなみに余談ではあるが、英語の「pre-raphaelite」を英和辞典で調べていたら、「ラファエル前派の」という形容詞の該当の意味以外に、誉め言葉があり、美しい女性をさす意味もある。辞書のなかに「巻き毛で上品な顔つき(の)」という形容詞の意味がある(プログレッシブ英和中辞典 4版 2003年 小学館)。一般語になるほど、この美術様式は英国で認識されているということなのだろう。
 そしてイヴリンについてだが、こちらは少々調べるのに手ごたえのある人物だった。要は美術辞典の類では素通りで載っていない。洋書の『symbolism』も駄目である。ネットでの検索でも人物像が見えてくる文章は少ない。
 ではなぜこの画家に行きついたのかから述べよう。前回の序のところで『フローラ』という作品を挙げたところからだ。ここで確認となるが、フローラには二つの意味がある。一般に、キャピタルレターのFloraとする場合は、「春と花の女神フローラ」である。フィレンツェ(英語フローレンス・花の町の意味)の語源でもある。スモールレターのfloraが「植物誌」を意味する。もちろん女神からの派生で植物誌に使われた可能性も十分にある。
 さてまだ出たての書籍なのだが、昨夏に上梓された『名画の中の植物<美術の植物学>への招待』という本がある。その本の裏表紙に使われていたのが『フローラ』であり、イヴリンの絵画なのである。この女性画家の存在は、この本を読んで知ったに等しい。この画家のことを割と書いているのもこの本なのである。
 ラファエル前派と言えば、ミレイ、ロセッティの両巨頭であり、一部「後期ラファエル前派」と便宜上呼ばれているものに、アーツ・アンド・クラフツ運動で有名なウイリアム・モリスの名前があげられる程度の私の知識だった(「後期ラファエル前派」について、手に取りやすく詳細な書籍としては、高橋裕子『イギリス美術』pp.134-135 岩波新書 1998年がある。第五章の「詩は絵のごとくに」はすべて「ラファエル前派」の特徴を述べているが、かの部分に「後期ラファエル前派」の特徴がある)。そういえば、このアーツ・アンド・クラフツ運動もラスキンの思想の体系化と言われている。ラスキンという人はどれだけ英国の美術界に影響力を持っていたのか驚かされる。しかも「自然」を常に芸術の中心に考えている人だ。改めてナショナルトラスト運動の根底思想もここに行きつく部分が多いのも頷ける。

『フローラ』のモティーフ
『名画の中の植物<美術の植物学>への招待』(大庭秀章著)の著者の本は、家の本棚の中にもう一冊あった。シーボルトの『フローラ・ヤポニカ』(邦名『シーボルト 日本植物誌』 筑摩書房・2007年)の監修者でもあった。いわば植物の専門家である。ステキな本を自然科学のお立場で出されている方だ。そこに文芸や美術的視点を盛り込んだ今回の本書は、自然美と絵画を結んだ私にとって楽しみな一冊である。
 既述の通り大人の読書感想文のような構成になるが、必要知識は前半でお伝えしているので、ここは書籍の内容に入らせていただく。本書の著者は前書きに、ボタニカルアートは、植物学的な図鑑の要素を含む精密性と、芸術性の両者を備えてなくてはいけないと言っている。そして添え物や背景で、画面上にただ置かれているだけのものでもないという。その考えに則した(あるいはその考えに見合った書物に出会えたのかもしれない)、ここに著者は『フローラの神殿』というロマン主義的なボタニカルアートの植物誌との出会いを起草のとっかかりにしたと書いている。
 本書には『フローラの神殿』から月桃の花を挙げている。ペーター・へンダーソンの描く月桃。この植物は熱帯の花でショウガの仲間である。花穂と言って、穂のように花がいくつも連なる形状をした植物だ。最初は本の中を見ずに巻頭の前書きを読んでその植物の存在を知る。ところがその該当ページを開いて驚かされた。
 単に私がものを知らないだけかもしれないが、過去に私が目にしてきた多くのフローラ(植物誌)の図鑑というのは、背景が入っていない。参考までに過去に撮影した十九世紀のヨーロッパのフローラの画像を下に掲出しておくので参照願いたい。もちろん画像の本は十九世紀の貴重な原書であり、復刻版ではない。おおよそ百二十二年の歳月をかけて完成した由緒正しきフローラ(植物誌)だ。ご覧の通り、植物の全体と部位のみの構成で、景色や背景など描かれておらず、白地の図版の下にキャプションがあるだけだ。
 ここで面白い問題提起ともなりえる事象が発生するのだが、ちょっとだけ横道にそれてみたい。とても昔に私は古書やガジェット類、図鑑の挿絵を、作品としての絵画様式論に当てはめて、比較対象にするにはいかがなものかと悩んでいた時期がある。当時の知人も皆が口をそろえて難しいというのがもっぱらだった。単なる試みのひとつであり、趣味の領域だったので、なんとなくあきらめた覚えがある。ところがこの頃つい最近、この本とめぐりあっただけでなく、これと似た類の趣旨を持つ文献が少しずつ出始めている。完全というわけではないが、時代を待ったおかげで、どうやら点と点が線になりつつある(松本清張の推理ではない・笑)。頭の奥底にしまっておいた材料を再び出せる機会を得たのだ。
 ここにあるピーター・ヘンダーソンの月桃の絵画は様式からして、まぎれもなくロマン主義的な筆致である。ボタニカルアートのリアリティをまぶした複合的な歴とした絵画である。博物学というよりも、芸術様式に近いのである。不思議な感覚である。
 さて話を戻して、この本の月桃とは一旦お別れして、別のページ、女神フローラについての記述に入っていきたい。このイヴリンの描く女神フローラといくつもの植物については、ここでは処理しきれなかったので、次項に繰り越したいと思う。それくらいこの本の著者は植物学の知識を駆使して美術の考察を行っている。わたしのちっぽけな知識など到底足元にも及ばないくらい素晴らし著作であり、知識であるということだ。


florabook1883year1.gif
19世紀(1883年)完成のフローラ植物誌の原書の一冊


イヴリン(イーヴリン)・ド・モーガン 『フローラ』
現物作品は油彩 
1894年 78X34 イギリス ロンドン モーガン・ファンデーション所蔵

イーヴリンと絵画作品『フローラ』について
http://www.victorianweb.org/painting/demorgan/paintings/5.html
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16 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―新しい主題の話-テーマを考える一試考(その1・序) [主題を考える一試考・植物画]


 最近新しい学習テーマをようやく発見し、考えるようになった。本稿の目的はもともと、「教養という部分で美術史を遊ぼう」という柔らかいものである(美術史自体を柔らかくするという作業は、見方によっては、ある意味で大変な作業かもしれないが)。その中で多くの美術史の現象や作品に触れているうちに、私の持つ学習テーマと条件の合うものにめぐりあえるのではないかとも内心考えていた。それは「自然(植物など)」、「十九世紀ヨーロッパの文化」、「生涯学習と社会教育」である。
美術史を考えるうえで、歴史現象としてその時代相を社会から見たり、時代区分の問題を様式論から考えたりすることが、専門性のある研究者の方々の著作から垣間見える。垣間見る程度しか私ができないのは、土台の少ない、小さい知識のためだ。私が先達たちの立派な流れをすべて受け入れるだけの明快な頭脳を持ち合わせていないためである。
 それでもようやく生涯学習の学習テーマとゆるやかに合致する領域が見受けられてきた。おおよそそれは2010年代に入ってから上梓され始めた書籍類に見られる新しい視点なのではないだろうか。そこで楽しみながら考察できる自然を感じる絵画考察に行きついたといえる。
 もちろんここでは既述のごとく、揺るぎないオーソリティのもとに、画家・作家の思想や作品を論じるのではない。従来より少し視点を変えた内容、花という自然物を一つの軸に美術作品を取り上げて楽しもうという文芸作品、つまり著作物が登場し始めたことによってできる読書作業である。巻末のリファレンスをたどると、それに類似した著作も過去に見受けられるのだが、はっきりと「花と絵画」を主題に用いて、それが考察対象であると謳っているのは近年(2010年代以降)の出版物と私個人は考えている。やはりこの主題を見つけるのに四、五年はかかる。真面目にテーマを持った読書をし始めるということはそれくらいかかるということだ。
 学術的な主題というのなら、絵画の背景の解説ついでに(名画『プリマベーラ』の解説書にはかならずと言っていいほど、花の特徴や話が付記されています)、純粋に博物学としての図鑑の挿絵やボタニカルアートに(例えばシーボルトの図鑑、ちくまの『フローラ・ヤポニカ』などです)、絵画の寓意的解釈の象徴物としての花やアトリビュートとしての花(ユリは「受胎告知」のシンボルで、マリアさまやガブリエルがもっていることが多いそうです)などだが、私が対象にしている学習テーマはそんな高度、高尚なものではなく、もっとフランクなものを探していた。もちろん本稿のこのテーマだって真面目にやれば、いくらでも高尚になるはず。それを楽しみや知的要求からくる教養のレベルで止めておいて調べるのが、私流のリベラルアーツである(ゆるい我流ですみません。真剣に研究に臨んでいる人に敬意を表すために、自分の考察意識の次元を一段も二段も下げて、心身ともに謙譲の意味で「私流」と入れております)。
 私の生涯学習としての学習テーマは今回の中では、フローラに着目できる。もちろんボッティチェリという巨匠の『プリマベーラ』という伝統的なテンペラ画がその最高峰に位置するのだが、それと似た視点として近代絵画から着想や思想をとらえる十九世紀ヨーロッパのラファエル前派という様式集団がある。そのひとり、イブリン・デ・モーガン(1855-1919)を見てみたい。またここでは何度も登場したおなじみアールヌーヴォー様式のアルフォンス・ミュシャの作品も挙げてみたい。それぞれ優良ともいえる図書に記された解説から拾っていこうと考えている。
 重複になるが、あくまでこの学習テーマは私個人の生涯学習や教養を高めるための作業である。したがって、この場において論じることはなにもない。ただ事実と知識を高めた成果を披露させていただくのがこのブログの趣旨なので、趣味カルチャーの類として、少し長めの大人の読書感想文として、くれぐれもご配慮のほどよろしくお願いしたい。
                 
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15 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その7 『黄道十二宮』と時代相 [ミュージアム 美術史]

 最近は多忙を極めていたため、そして資料の読み込みが遅いことでふた月ぶりの更新となった。
 さて季節柄である暦を題材にした美術作品と歴史、文化史のお話を述べたい。タイトルは『黄道十二宮』。今日では星占いに良く登場する言葉だ。また天文ファンにとっては、黄道上に位置するギリシア神話の星座たちである。まさに古典古代回帰の「新芸術」、アール・ヌーヴォー様式に相応しい作品と言える。
 ポスターの回でも述べたが、リトグラフ(石版画)は十九世紀の商業印刷物を急進的に発展させた。専門家に言わせればリトグラフは、もともとは十八世紀に楽譜や譜面(スコア)をコピーする目的で広まった。A.ゼネフェルターによって発明された(柏木博「時代を映すグラフィックデザイン」『グラフィックデザインの歴史』創元社刊pp.1-2)。それが多色刷りに発展して美術で使われたのである。オフセット印刷の登場までこれは続いていく。
 話を戻そう。作家の名前はアルフォンス・ミュシャ。ご存じアール・ヌーヴォーの旗手のひとりだ。最近ミュシャの大きな展覧会が開催されたおかげで、再びミュシャの人気が再燃している。おかげで粗末なこのブログもなぜかポスターの回に扱ったロートレックとミュシャの記事がそこそこの閲覧数になっている。きっと気になった方の百分の一、千分の一ほどの人が、勘違いか手違いで、拙稿のブログに迷い込んできたのだろう。こちらはありがたいが、ご期待に添えず、ご迷惑をかけていなければいいと思う。
 十九世紀末のヨーロッパ社会に風雲を巻き起こし、ポスター芸術で名を馳せたミュシャ。サラ・ベルナールの『ジスモンダ』で人気作家の仲間入りを果たしたのは、前に触れたと思う。『黄道十二宮』は、その後、世紀末も押し迫った1896年頃に出た作品だ。
 事の発端はシャンプノワ社のカレンダー制作の一環として上梓されるのだが、その後このカレンダーに目をつけたラ・プリュム社がノベルティ(自社名を入れたおまけや販促物)として配ったことで人気に火が付いた。
 デザインについては私たち日本人にも馴染みやすいと考えている部分がある。例えば上部一対の月桂樹は永遠の象徴である。常緑樹は枯れないところから来ている。意味としてはお榊と似ている。そして十二種類の円盤を意味するゾディアック(これが黄道十二宮の意味の英語であり、もともとの意味は十二種の円盤という意味)は、十二支(えと)に通じるような一年の各月を表している。まさに暦にぴったりのモティーフというわけだ。
 また専門家の注釈にはギリシャ語の「ゾ」は動物(まさに干支)と人生(暦であり時間を示す)を表すとあり、「ディアコス」は円盤を意味するという(島田紀夫「アルフォンス・ミュシャ作品解説」『ユリイカ』2009年9月号 pp.126-127)。
 また歴史上の美術様式としては、勿論アール・ヌーヴォー様式であることは間違いないが、ミュシャ特有の特徴と位置付けられている通説では、文様や装飾の中にビザンツ風やケルト風の様式(装飾デザインなのでパターンと呼ぶ方が良いかもしれない)をちりばめた美しい構図美を秘めていると言われる。そのようにこの作品を扱った評論家の間で一般に称されてきた。
 以前サラ・ベルナールの公演ポスターの折にも触れたが、ミュシャの作品の中にはスラブ民族の栄華の象徴でもあるビザンツ帝国時代の面影を調味料のように塗(まぶ)すことがある。特徴としては、ポスター背景のモザイクパターンや、花や宝石に覆われた装飾品、頭部に当てた円光上の模様などが挙げられる(喜多崎親「ミュシャ(ジスモンダ)とビザンティン」『ユリイカ』ibid. pp.152-163)。確かに『黄道十二宮』でも花と宝石の装飾や円盤のゾディアックを円光模様にうまく当てはめてある。
 この辺りを歴史的な側面で解釈すると、古典主義のアイテムを使うアール・ヌーヴォー。つまりギリシア・ローマ風のモティーフが作品全体に求められる様式美である。ローマ帝国が東西に分裂したのはご存じの方も多いと思うのだが、東方文化の融合化が見られるのがビザンツ帝国(東ローマ帝国)である。したがってこれも立派にローマ風なのである。今日、その香りを残している民族が東欧系の民族ということになる。そこでしばしば、少数ではあるが、わざわざミュシャスタイルだけを取り出して、「ロマノ・ビザンチン様式」という様式名を重ね合わせて、特別に用いる専門家もいるくらいだ。
 以前にご紹介している『ヨーロッパとは何か』という本になぞらえて例えた、スラブ民族・東方正教会(オーソドクス)・スラブ語の通底文化である。ここにミュシャの精神面の源流があったのかもしれない。ほぼ同時期に作成されている『ビザンチン風の頭部』などにもその兆候は現れている(『ミュシャのすべて』角川新書 pp.88-89)。
 もし全面的に民族的アイテムを作品に使ったとすれば、おしゃれなアール・ヌーヴォー様式が、勇猛果敢なコンチネンタル的なロマン主義になりかねない。時代や目的のニーズに合わせながらも自身のアイデンティティや誇りをほんの少し臭わせていたと考えられる。結果、美術表現上、その溜め込んだものが、一気に後の『スラブ叙事詩』のモティーフへと、何らかの形で繋がっていると考えるのもあながち間違いではないだろう。
 またもうひとつのケルト文化は細部の判断が難しい。なんせ民族そのものが消滅に近い。言語や文化もアイルランドや英国、フランスの一部にその片鱗を残す程度である。主な特徴は左右対称の幾何学模様やそれを発展させた渦巻きやS字の文様が挙げられる。これらのオーソドックスな特徴に照らし合わせると、日輪とヒマワリ、三日月とケシを描いた下部の円模様や女性の髪の先端や白抜き部分のS字模様とアールヌーヴォー様式の曲線美を上手に合わせたデザインが挙げられる。
 構図に関しては、金銀細工の装飾を身に着けた横顔の女性像はサラ・ベルナールのポスターを彷彿させるという意見もある(島田紀夫編『ミュシャ アールヌーヴォーの美神たち』p.88)。またパリ万博ではこの作品の女性像を造形化した一連の作品も寄せていて、『ラ・ナチュール』というブロンズ像が残されている(小野尚子「ミュシャとパリ万博博覧会」『ミュシャのすべて』pp.78-83 fig.はp.143)。
 このようにパリ時代のミュシャは、美と女性とアール・ヌーヴォーによって時代の寵児となり、多くの作品を残した。また作品の枠が広がるたびに写真師のナダール、彫刻家のロダンなど交際範囲を美術全般に広げていくことになる。そのさなかにあったのが、この『黄道十二宮』と言えるのかもしれない。そして自然、植物、美の様式を結集したこの時期のミュシャは、十九世紀という時代を象徴する商業やアートの時代相を上手く表現しているアーティストと言える。


現物作品は リトグラフ(多色石版画)
1897年 66.5x48.2cm

ミュシャ 『黄道十二宮』 
http://www.salvastyle.com/menu_symbolism/mucha_zodiac.html



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14 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その6 『サント・ヴィクトワール山』 [ミュージアム 美術史]

 南フランス、プロバンスの自然に魅せられた画家セザンヌ。セザンヌほど多くの内在的な弟子を持った画家はいない。なぜこんな遠回しな言い方をするのかというと、勝手に師匠として目標にしていた著名な画家の多さに驚かされるからだ。晩年には、「現代絵画の父(近代絵画とも)」と称されたり、若き日の逸話として、「僕はリンゴひとつで立派な成功する画家になるんだ」と公言したともいわれる。エピソードには事欠かない人となりがそこにはあった。
 大雑把な区分けをすると、彼自身の若き日の立ち位置は、印象派展の常連として、重ねてモネやルノアールの弟分としてデビューした画家である。成功が遅かったことも特徴に挙がる。故に印象派というより後期印象派としてカテゴリーに入れられることも多いが、正真正銘、印象派初期メンバーの一人である。つまりは印象派絵画の特徴の酸いも甘いも知った画家ということだ。
 印象派の中で古典回帰を目指した画家は、ルノアールが一番有名だが、セザンヌも同じく古典回帰を目指した方向性で知られる。それにも関わらず、冒頭で述べた通り、新鋭の画家たちに「新しさ」を与えた画家なのである。それをわかりやすく述べているのが、映像資料『巨匠たちの肖像 セザンヌ・革命を起こした隠者(2010年・NHK-BS)』のなかでのカテゴライズだ。
 ここではセザンヌの作品の特徴を三つに分けて、その派生を受け継ぐ画家の特徴に結び付けている。まず第一に水浴婦人像である。これはどちらかというとルノアールのお得意分野であるが、セザンヌも自身の現存約850の全作品のおおよそ一割は、このモチーフを選んでいる。セザンヌのこの人物考察や自然と人間の対話をモチーフにした作品に共感、共鳴したのが、マティスである。マティス自身は印象派への憧憬を抱く画家であったため、その水浴図は点描に彩られ、モネやルノアールへのオマージュともとれるように見受けられるが、モチーフの面で人物や色遣いの面白さをお手本にしていたのが、セザンヌのようである。
 第二としては、静物画の巨匠として知られるセザンヌ。これが一般においての一番セザンヌらしい作品である。リンゴのある静物画を描かせたら、右に出る者はいない。それくらい自然物の造形や色遣いに忠実に、しかも独創的で美的な構図を用いて描いている。これを称賛したのが、同じ後期印象派のゴーギャンである。ゴーギャン作『マリー・デリアンの肖像』の中にその静物の特徴を探すことができると映像資料は結び付けている。
 そして第三の特徴であり、本稿の主題でもある『サント・ヴィクトワール山』や『プロヴァンス地方の家―レスタック周辺』の風景画である。風景画とは言っているが、そこには造形へのアプローチがあふれており、角ばった家の造形やこの山の石灰岩の岩肌がデフォルメされた三角形や四面体で描かれていることがこれらの作品の特徴である。この風景画の面白さに飛びついたのが、当時キュビズムという四面体を平面で描く集団にいたブラックやピカソである。とりわけブラックは、その家を描くためにレスタックを訪れて作品を残している。マティス、ゴーギャン、ブラック、ピカソという大物画家たちがこぞって勉強の対象にした画家がセザンヌだった。
 さて、今回、なぜこの『サント・ヴィクトワール山』を取り上げたかというと、それは、とてもいろいろな手法で、いくつもの表情を持つこの自然物の山を、セザンヌは何度も表現しているためである。実に水彩と油彩を合わせて80点以上の作品が現存する。ちなみにピカソは晩年、この山の見える場所に居を構えて余生を楽しんだのだという。
 角張った手法のほかに、色の表現としては、色遠近法を無視して、鮮やかな遠景を手に入れることがこの山をモチーフにした彼の絵の特徴である。写真では確実に青みがかった遠方の山にしかならないが、絵画なら鮮明な山の岩肌や木々を表現できるということが特徴になった。ローマ時代の伝説の舞台でもあり、ケルトとの戦乱での勝利を意味するところからヴィクトワールの名を持っている山である。その歴史は古い。
 特にこのサント・ヴィクトワール山を描いた中でも、『松の木のあるサント・ヴィクトワール山』はセザンヌには珍しく絵の右下にサインを入れている。日本趣向の構図が美しく自分でも納得いく絵が描けたためと考えられる(島田監修『印象派美術館』小学館2004年 340-341頁)。
 また造形を愛するようになったセザンヌの動向についても、南フランスの光に満ちた風景を、自然の造形から空間構成、ヴォリュームなどのアプローチする画風に移行していることを『近代絵画史(上)』は述べている(高階『近代絵画史(上)』中公新書 126頁)。とくにその傾向は1885年ごろから始まっていて、『レスタック風景』や『サント・ヴィクトワール山』の連作で実践されていったとある。
 造形へのこだわりは人物画の中にもあったようで、セザンヌは若き画家仲間のベルナールに向かって教示したのが、「自然を円錐と、円筒と球体で捉える」ということだったようだ(高階『続名画を見る眼』岩波新書 36頁)。
 このようにセザンヌは自身の郷里にこもって、田舎生活をする中で、絵画にどのようなメッセージを託していたかというと、一般書の中に、私にとって合点のいく、そのヒントのような文章を見つけた。それは絵画を寓意性や物語性で読み解こうとするフランス人への新しい提案で、その習慣をさせないために、造形の絵画を描き続けたという考え方だ。それに適したものとして、あえて動かない山の風景画、腐りにくく、比較的保存のきくリンゴの静物画をモチーフにしたという考え方だ(木村『名画は嘘をつく』だいわ文庫 46頁)。意見はそれぞれだが、この意見にも一理あると思わず納得した。
 さて、リンゴと水浴婦人とサント・ヴィクトワール山。セザンヌが愛した三つのモチーフのなかで、ひとつだけ本物を見ないで描いていたモチーフがある。それはどれかというと、水浴婦人だ。もともとシャイで、照れ屋な性格のセザンヌ。片田舎で水浴のモデルをしてくれる婦人など見つけるのは難しい。そこで遠方から水浴の婦人を眺めたてデッサンしたり、都会の絵葉書や写真などを参考にして描いたということである。つまり彼の描く水浴図にはモデルはいないというのが、良く語られるエピソードである。印象派の巨匠とはいえ、照れ屋なところが面白い人物像である。


現物作品は エルミタージュ美術館蔵 油彩 78x99cm

セザンヌ 『サント・ヴィクトワール山』 
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/cezanne_victoired.html

『松の木のあるサント・ヴィクトワール山』
http://bijutsufan.com/postimpressionism/cezanne/2965/

『ガルダンヌから見たサント=ヴィクトワール山』(横浜美術館に所蔵されています)
http://yokohama.art.museum/

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13 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その5 『印象ー日の出』 [ミュージアム 美術史]

 その昔、話の流れで、「モネやコンスタブル、ミュシャ以外だとやっぱりルノアールがお好きなんですか?」と訊かれたことがある。あんまり四番手、五番手の話って、世間話でどの分野でも出てこない。でもこの手の話で返答に困ることはない。実は次に好きなのはマティスである。完全に現代絵画だ。それで後半の名作『夢』が大好きである。あの柔らかさとカンファタブルな光景が、見ているだけで癒やされるからだ。現代というと、ダリやピカソが有名なので、「フォビズム(野獣派)」のマティスは少々控えめな存在だ。しかもマティスの作品は何度も見ているが、野獣と思ったことは一度も無い(あくまで個人的感想です)。性格も紳士であると多くの証言が残る。言葉の一人歩きに近いカテゴライズと言うことだ(この名称は作品グループへのネーミングなので大目に見た方が良い)。原色基調はゴッホやゴーギャンが後期印象派でやっているので、昔はその流れにも見えた。それよりマティスは絵画のその柔らかな輪郭線や、造形物である切り絵独特のハンドメイド感が好きである。アーツ&クラフツにも通じるようなモビルの類もおしゃれである。加えておくと、もちろん印象派で言えば、ルノアールも、セザンヌも、モリゾだって興味の尽きない画家である。いきなり話を外してしまったが、タイトル通りに戻そう。今回はモネの名作『印象-日の出』である。
 もうご存じの方も多いだろうが、印象主義(Impressionism)主軸を占める有名作品である。ただし第三回の記事で、すでに印象派の作品の扱いに触れている通り当時は無残な作品評価だった。繰り返しになるが、1872年の当時は関係者を除いて、誰ひとり、この作品も含めて印象派の作品すべてを名作などと思っていない。言い方は良くないが「作品にも値しない駄作」として有名な絵であった。時間とともに、印象派の画家たちの地位が上がるとともに、この絵の評価も上がっていったというのが、本当のところである。
 察しの良い方はもうお気づきだろうが、印象派や印象主義の名称は、この絵を起点とする。実はこの絵については、絵の評価や評論よりも、印象派自体の出で立ちや名称の由縁などでよく紹介されることも多く、作品自体の評価と言うよりも、エピソードと絡めた紹介が多い。要はこの絵にまつわる印象派のアイデンティティのようなものだ。ではその辺の概要を含めて見ていこう。
 おおすじで周知の事項をまずは共有したい。セーヌ川河口の港町ル・アーブルの日の出の風景を描いたものである。古典絵画の場合は光源を描くことは暗黙の禁じ手になっていた。つまり写真ならフラッシュを撮影した作品みたいなもので、太陽を描くというのは、挿絵、説明や図解のためのフィギュア(よくfig.なと略す図解)でも無い限りは、アグレッシブに描かれるものはなかったという。おまけに絵の表面は最終処理がさせていない、あるいは中途半端な凸凹が残るともいわれ、この展覧会で評論家や新聞記者が感じたことは、「アンフィニッシュ(仕上げ前)」、つまり同義語である「習作」、「印象」といった単語だった。ちなみにこの三つの単語は、ほぼ同じ内容を示す言葉として使われていたようである。
 結果的には、これ以後、光の分析をする印象派の代名詞やイメージを司るものが太陽になっていくのが面白い。同じモネの『ルーアン大聖堂』なども光の分析を時間ごとに捉えた実験的な大作である。おまけに嫌みとして、半分からかわれた言葉「印象」を逆手にとって、1877年の第三回の展覧会からは「印象派」を名乗るに至っている。作品とその背景の基礎事項はこんな感じなので、実際の作品の特徴とエピソードを書籍からくみ取って挙げていこう。
『印象派美術館(島田ほか・小学館・59ページ)』では、海と空の境もなく、すべてがぼやけていて、はっきりしているのが船のシルエットだけという解説である。水面の短い線の集合体はさざ波であり、太陽やものの陰影を映しており、すでにこの頃から光に対する探究心が見えている気もする。絵画の場合、水鏡を含む鏡、ガラスや水晶のような透過素材を表現することで、光の描き方が鍛えられると聞いたことがある。グラスについた水滴などを絵にすると、その人の透明というものの考え方やアプローチの仕方が分かるそうだ。この作品にもそんな水と透過と光の関係が、細々とではあるが垣間見える。
『近代絵画史(上)(高階・中公新書・84ー87ページ)』では、モネのこだわりが面白い。モネとクールベのやりとりにおいて、庭のカンバスに向かって微動だにしないモネ。止まったままの絵筆と手に、クールベが「なぜ描かない」と訊くと、「雲が太陽を隠しているためだ」と返した。影響を受けない場所を描けばいいと答えたが、モネは陽光が戻るまでは描かない頑固さを固持したという。『印象-日の出』にも通じるエピソードなのだが、彼には太陽の光は最重要アイテムだったのだ。
『六つのキーワードで読み解く西洋絵画の謎(千足・大和書房・88ー89ページ)』では、輪郭線のないおぼろげな、その朝靄の日の出の様子を、イギリスロマン派の巨匠ターナーの筆致と同様のなぞらえ方で、「朦朧体(もうろうたい)」と位置づけている。抽象的な文章や明確な輪郭線のない絵画を文芸ではそう呼ぶのだが、デッサンを省くことの多かった印象派の面々の作品は、そういう特徴もある。ただし現実には、ルノアールなどは後半になると素晴らしいデッサン技術を披露しているので、必ずしも印象派の画家たちがデッサンをしなかったというセオリーで読み解くのは間違いである。また彼らはデッサンをしなかっただけで、技術は持っていたとも言われている。
 この「朦朧体」を「主題の欠如」と読み取ったのが、「同時代、20世紀、そして今日におけるモネ(セルジュ・ルモワンヌ)」『大回顧展 モネ 印象派の巨匠とその遺産(図録・新国立美術館・読売新聞社・2007年・17ページ)』だ。ここでは、ものの形が消えて、点描だけ、イメージだけが残っている絵画という特徴を挙げている。繰り返しになるが、つまりはここでも「朦朧体」を意味しているとわたしは考える。
 この『印象-日の出』という作品には、印象派の特徴を導く、多くの特徴が内在していることはご理解いただけたと思う。当初、この作品のことをモネ自身は『日の出』とだけ呼んでいた。それがなぜグループ展の名称にまでなった「印象」という単語を冠するようになったのか、をご紹介して幕引きにしよう。
 再度『近代絵画史(op.cit.)』を当たる。展覧会カタログの編集担当者、ルノアールの弟に「もっと魅力的なタイトルが良い」と言われ、「それなら印象とでも加えてくれ」ということで、「日の出」という単語の前に「印象」が加えられたということだ。モネによって、その場の思いつきで加えられた単語が、絵画史上、いや絵画だけでなく芸術史上重要なタームとなった「印象主義」という芸術思想の名称を生むことになった。

後付
最近気付いたのだが、ドビュッシーの交響詩『海』の第一楽章の冒頭部分は夜明けっぽくて、このモネの『印象-日の出』に合うと思う。どうかな?

現物作品は パリ・マルモッタン美術館蔵 油彩カンバス 48x63cm

モネ 『印象-日の出』 
http://www.salvastyle.com/menu_impressionism/monet_impression.html
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12 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その4 『白のシンフォニー(シリーズ)』 [ミュージアム 美術史]

  今回はホイスラーを取り上げよう。この画家は、印象派ともジャポニズムとも言われる上に、アメリカ人なのだが、アメリカ本国ではほとんど知られていなくて、イギリスで人気の画家である。ご存じの方は、「また掘り下げたところから持ってきたなあ」などとお思いかもしれない。
 この画家、イギリスで活躍はしたのだが、かの美術評論家のジョン・ラスキンともめたり、また新聞社などの発表する評論の執筆者とやり合ったりと、結構プライドの高い、やり手の画家でもあった。
 わたしの知る有名なエピソードは、この『白のシンフォニー』のタイトルに難癖をつけた評論家とのやりとりだ。
「なぜ白のシンフォニーなのに、白以外の色を使っているんだ」という質問に、ホイスラーは「じゃあタイトルに『交響曲ヘ長調』とあったらファの音しか使わないのか? 1音で曲が書けるのか? 愚問だ」というウィットの効いた切り返しで、一蹴したエピソードを思い出す。
 このほかにもホイスラーは『ノクターン』、『ハーモニー』のシリーズもあり、音楽用語を絵画に使う印象派に近しい画家だった(一部印象派とは親交は深かったが、作風としては距離を置いていたという見方もあるため完全な印象派画家とは言いがたい。「印象派展」にも誘いを受けたが実際には参加していない)。『ノクターン』は夜景の絵画である。
 ではこの『白のシンフォニー』についてだ。1860年代にホイスラーの音楽用語タイトルはこの絵を皮切りに始まった。その音楽用語と白のグラデーションを活かした作風についてのコメントを二つ挙げてみたい。
『西洋絵画の謎(千足伸行著)』の中では、ホイスラー自身が当初『ホワイトガール』と呼んでいたらしいのだが、この絵を見たフランスの評論家が『白のシンフォニー』と呼んでからその名が定着したとある。
 もうひとつ『イギリスの美術(高橋裕子著)』の中でもほぼ同じ内容が読み取れる。「落選者展」に『ホワイトガール』を出展したときにある批評家が『白のシンフォニー』と呼んだことでその名が定着したそうだ。ここでこの本の著者は「色と形による純粋な視覚的喜び」という表現で、ホイスラーの作品の鑑賞や解釈を位置づけている。
 またラスキンとのやりとりについては、ラスキンが、花火の絵を見て、「絵の具ツボをひっくり返しただけのような絵」という酷評をしたために裁判を起こして、勝訴し名誉を守ったのだが、裁判費用が払えずに破産したというエピソードも有名だ(『印象派美術館(島田紀夫編)』410ページ)。
 仕上がり当初「ホワイトガール」だったこの絵に音楽用語を授けたのは、批評家だったが、それに良い印象を持ったホイスラーは次々と音楽用語を作品につけていった。その後抽象画で有名なカンディンスキーも音楽用語のタイトルを使う作品を作っている。
 良い意味でも逆の意味でも、評論家との関係が深い画家がホイスラーである。


現物はワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵
1862年 油彩・カンバス 213x107.9cm

ホイスラー『白のシンフォニー第一番』
http://lempicka7art.blog.fc2.com/blog-entry-99.html
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11 美術館めぐり Appreciate pictures in ArtMuseums / A very biginning of the europian art-history. 西洋美術史(絵画史)ことはじめ―その3 『ムーラン・ド・ラ・ギャレット(の舞踏会)』 [ミュージアム 美術史]

  「ムーラン」が風車、「ギャレット」が焼き菓子を意味するというこの店名。店の庭先テラスで戸外風景を描いて代表作を作り上げたルノアールの足跡を見ていこう(いきなり本題という快挙)。
 例えばアルテの『美術史入門』では、とても短い文章だが、『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』はモネとの対比で、色彩の多様性を描いた印象派特有の気質をもつモネに対して、「女性美の伝統的規範」を利用し続けているような特性を持たせていることを述べている(アルテ『美術史入門』白水社 94ページ)。
 換言すると、過去の慣習にとらわれない色彩感覚を独自に発見してきた印象派の先頭集団にいたルノアールでも、実は過去の画家たちと同じ女性に対する審美性の目を持っていて、それを作風に活かしているというものの言い方に感じる。もう少し加えると、革新的とか、画期的と言われることの多い印象派の画家たちへの決めつけが多い中で、実はそうではなく、彼らも過去の画家たちが発見し、大切にしてきた技術や約束事をちゃんと踏襲しているということを説明しているとも解釈できる気がする。
 例えば、短い字数制限のかかる雑誌やチラシなどでは、科学的根拠やルール無視を彼らの偉業的な特徴としてあげられる事が多い(展覧会などではキャッチコピーは心に残る方が良いというのもあるだろう)。でも実際、凹凸をなくす絵画の表面仕上げは、点描画法を行ううえで、犠牲にしなくてはいけなかったルールだし、時間によって(天候や太陽の角度)、肌の色や葉の色も変化しており、常に同じ色を使うことは、色彩のルールのうえで主観的になっており、見たままの客観的色合いではないということで、お決まりの色のルールを破棄しなくてはいけなかったという犠牲のうえに成り立っているのである。
 実はこの表現、似たようなことが書いてある本がある。内容的には、モネとの対比でやはり人物画家としてのルノアールという視点だ。『続名画を見る眼』の中ではこんな感じだ。輪郭線を重要視しないことや補色の効果は、他の印象派と同様の技法を持っているのだが、そこに人物を配置しないモネたちとは異なり、積極的に人物(特に女性)を配置した風景画を描いたのがルノアールの特性だという(高階秀爾『続名画を見る眼』岩波書店 21ページ)。
 つまりわたしの記憶と重ねると、ルノアールは、モネと一緒に光の研究をしながらも、光が人物に及ぼす肌の色やその色彩を状態として捉えたかったと言うことだ。確かにモネも人物の入った風景も描くことはあるが、肌の色や顔がはっきりとわかるような描き方はしない(有名な作品はのっぺらぼうに描かれているものも多い)。ルノアールは人物を重要視していたことが作品からも見て取れる。
 ところでこの絵画作品に描かれている人物の集まる華やかさは、休日の屋外舞踏会(まあ、今で言うダンスパーティに近いです)が開かれていた店の前の庭の様子と言われている。もちろんここに登場する人物はほとんどがルノアールの知り合いか、素人モデルである。人集めの際には、劇場女優が被っていて、評判となったとんがった帽子を日曜のこの店主催の舞踏パーティに来ていた若い女性たちに大量にプレゼントすることでモデルの約束を取り付けたというエピソードも残っている(本当かな?)。
 そのモデルのパリの下町娘たちに交じって、画面右手には評論家リビエールや画家のラビなどが描かれており、ルノアールの交友関係を織り交ぜた作品になっている。
 粉ひき風車を名物広告にしてオープンしたこのダンスホール兼飲食店。午後三時から始まったダンスは深夜まで続いたのだという。
 ちなみにこの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』のタイトルを掲げる作品としては、「青の時代」でも、「バラ色の時代」、「キュビズム」でもない、何者でもない時代のピカソも描いている(島田紀夫編『印象派美術館』小学館 232ー233ページ)。ルノアールの淡い色とは異なり、赤や青のはっきりとした色に特徴がある別の『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』である。
 またこの店の位置していたモンマルトルについて加えておくと、ここは現在、なだらかな坂道の続く住宅地。パリ十八地区市街地の中にある。しかしルノアールがアトリエを構えていた十九世紀のこの場所は違った。ゴッホの描く『モンマルトルの丘』を参考に検証してみると、土と草に覆われた傾斜する大地が描かれており、つまりいわゆる本当に丘である。ブドウ畑と粉ひき風車の回るのどかな場所で、週末に歓楽街として営業する店が、少しずつ増えていた場所でありそんな時代だった。
 大きな意味での、武蔵野と呼ばれたころの東京の世田谷や横浜の緑豊かだった山手の丘の明治から大正時代の風景に、その立ち位置が似ていたのかも知れないと個人的には思っている。ある意味では、バルビゾンやフォンテーヌブロー、はたまたグレー=シュル・ロワンとまではいかないが、そこそこの芸術家村(コロニー)の役割も果たしていた地域とも見てとれる。
 しかし十九世紀も末期になるとその役割も変貌し、夜の歓楽街と化しながら、ここも都市化していったようである。ロートレックやミュシャの活躍した時代は、そんな都市化したモンマルトルの時代だったのだろう。そうなってくると、歴史的な所見を述べるうえで、常に使われるステレオタイプの定義である「近代化の波」や、「資本主義経済の社会での顕在」、そして「工芸や民芸、宗教的色彩の芸術からの開放文化」といったお決まりの見地として具象化されることの多い、おなじみのフランス十九世紀の芸術の表象がここにある。
 これらは、よく手垢の付いた表現だとか聞くのだが、でもこの時代の芸術や画家、作家(ここでは文筆だけでなく、音楽家や演出家なども含めたクリエーター全般を指す)とフランス・パリを表すうえでは、未熟なわたしには、先達の表現を踏襲する他に良い表現が思いつかないのである。そして妙にこれらの表現がマッチングしていることも事実なのだ。あしからず。
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』はそんなモンマルトルと芸術家を結ぶ出発点の時代を描いた作品であり、ルノアール自身の評価としては、印象派から人物画への主題の舵取りを考慮し始めるきっかけのひとつにもなった作品ともいえるのではないだろうか。

現物作品はパリ・オルセー美術館所蔵
1876年  油彩、カンヴァス 131 cm × 175 cm


ルノアール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
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